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30年めの’’りきさん’’
平成18年7月14日 金曜日

 おはようございます。
 はじめて、東濃ひのきの家ブログに参加します。中島工務店の‘’りきさん‘’です。
 中島工務店へ入社して、今年で30年目の年に入りました。
 30年間 中島工務店の歴史を見てきました。「東濃ひのきの家」造りの歴史を見てきました。
 入社したころ、(そのころは私も20代前半でした。)加子母村の山にかかわる「ある会議」に出席したことがあります。その中で 発言された言葉を思い出します。「山の木を育てるのは、1年先、2年先を考えているだけでは駄目だ。50年先、100年先を考えなければ、木は育たない。山の経営は成り立たない。」そんな内容の発言でした。
 50年先、100年先のことを考える。私の頭の中はでは、想像もつかない言葉でした。「ヒノキ一本育てるのに最低でも60年かかる。」20年しか生きていない自分にとって理解するのに本当に難しい、実感のわかない言葉でした。
 あれから30年、「あっ」という間に駆けてきました。でも、すごく長い時間でした。
 その当時も木造住宅を中島工務店で建てていました。(今思えば未熟な技術でした。その当時としては最高の技術を駆使していたとは思いますが。) それから私もいろいろと経験をつんできました。中島工務店も進歩しました。成長しました。でも30年はヒノキ一本育つのにまだ半分です。木のことを解かるのには後30年修行しなければなりません。先は長いです。
 人生の一区切りに 還暦という言葉がありますが、これも60年です。生まれたときに植えられた木が、一本の柱 「東濃ひのき」として デビューできるのが、60年生の「東濃ひのき」です。
 30年経って、半人前です。一人前の「東濃ひのき」になるまでには、あと30年、先もずいぶん長いです。
 つい最近、住宅増築工事の地鎮祭に出席しました。地鎮祭を終えて、御施主さん(Sさん)の言葉が、「私は、120歳まで生きる。60歳の還暦の同窓会にみんなと約束したのが120歳まで目標を持っていきることでした。まだまだやらなければならないことがたくさんある。」というあいさつでした。その御施主さん72歳です。元気です。くたびれていません。感心しました。人間も  120歳まで生きれば、「東濃ひのき」どころか「木曽ひのき」になってしまいます。Sさんこそ「木曽ヒノキ」に成れる人か。「がんばれSさん」と心から思いました。
 ちなみに 「東濃ひのき」と「木曽ヒノキ」の違い。私の解釈では、この加子母を中心とする東濃地方で育った60年生以上の桧が「東濃ひのき」、「東濃ひのき」の倍の人生(木の場合は「木生」?)還暦2順したのが「木曽ヒノキ」という定義に基づく見解です。
 加子母は、「東濃ひのき」の産地です。60年駆けて1人前になる木「東濃ひのき」の家。
 その「東濃ひのきの家」にたくさんの人に住んでもらいたい。
「東濃ひのきの家」中島工務店の家造りは、これからも続きます。
 ドンドン新しい技術も学び、取り入れ、より良い「東濃ひのきの家」造りに役に立つようこれからもがんばります。
 30年目の‘’りきさん‘’の決意表明です。

 2006.7.14.  河村力三
by npskobe | 2006-07-14 07:13
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